社報『駒形さん』より

 

さかづきのおはなし H30.6.1  24号

祭儀が終わると直会(なおらい)があります。神人共食(しんじんきょうしょく)と言って神さまに捧げたお供え物を我々もありがたく頂戴します。緊張感あふれる祭儀が終わって、神職も参列者も心が通常に直るために直会があるようです。総代さんの中には、「おなおりの会」と呼んで、直会も緊張を解き放つための祭儀の一環であることを広めようとする方もいらっしゃいます。直会では、お供え物の代表とも言える「お神酒」を盃に注ぎみんなで戴きます。お酒を通じて、目に見えない神さまのお恵みを感じます。心が通常に直ると共に、目に見えないお力を授かったようなありがたい気持ちになります
心を盃に例えるおはなしがあります。盃が上向きの時は、許容範囲までは受け入れが可能であり、何でも受け入れることが出来ます。下向きの時は、全て拒絶。いつも上向きでありたいものです。神さまへの参拝が、もしかすると斜めになりかけた盃を上向きに直したり、器を大きくしたりすることもあるかもしれません。
盃に注がれているものを「悩み」と例えるおはなしがあります。人それぞれ悩みがあり、少しの人もいれば溢れんばかりの人もいます。でもその量は関係ないという先生がいます。「その盃は重いですか?」という問いに、たいていの方は「軽い」と言います。「一時間持ち続けたら?」「一日中持ち続けたら?」そう問われると「重いかもしれない」と考えてしまいます。先生曰く「悩みを抱えている時間が長ければ長いほど悩みの大小にかかわらず深刻になる。」そう言われると、思い当たる節があります。悩みがある時、誰かに相談すると、ふと心に落ち着きが戻る瞬間があります。これこそ重い盃を一旦テーブルに置いた、ということなんだろうと思います。当神社は、悩みに溢れたり、重い盃、傾きかけた盃を置く場所でありたい、更には、その盃を大きく進化させる場所でありたいと考えています。「神さまの前で、瞳を閉じると進むべき道が見えてくる」とは、盃の傾き等が修正されるので、心に余裕が生じ、改めて進むべき道を迷わずに歩んでいけるということなのだと思います。
「コップとノミ」のおはなしがあります。ノミが入ったコップにフタをすると、本来強靭なジャンプ力を誇るノミも、何度かフタにぶつかると飛ぶ限界を自分で決めてしまいます。ある時フタを外すと悠々と逃げられるはずのノミは、フタのあった高さまでしか飛べなくて逃げられなかった、と言うおはなし。「ここまでしか出来ない」という事柄はたくさんあります。自分で決め付けてしまったものもあるでしょう。見直すきっかけに神さまに詣で、自分の心に問いかけてみると、ふと道が開けるかもしれません。

皆様におかれましては、大神様のご加護のもと、益々ご多幸でありますことを心よりお祈り申し上げます。

縁起をかつぐ  H29.12.1  23号 』

お正月が近づくにつれて、神社では来年に向けたお神札お守を準備したり、縁起物の奉製作業に力を注いだり慌ただしくなって参りました。皆さまにおかれましても、師走を迎え、慌ただしくお過ごしの時節と存じます。
古来より、我が民族は「不吉」を避けて生活をして参りました。現代、風邪の悪寒がする時は薬剤を飲んだり、栄養を摂って対処しますが、古代、不吉な予感がする時は、それに対抗するモノを身に付けたり、言葉をいましめながら最悪の事態を避けてきたように思います。今話題の大相撲界では、先輩力士に配慮して、自分の顔のホクロが「黒星」を連想させる場合は絆創膏で隠したり、部屋の食事当番も、厳しい勝負になりそうな日は、「アサリ汁」と「カツ」を配膳し、先輩に「あっさり勝つ」よう縁起をかつぎます。また、不吉なモノを寄せ付けないために、あらかじめ年の初めに神社より受けた「縁起物」を家に飾ったり、身に付けることも、不吉なことが起こらない策であったのだろうと思います。今の時代となっても代々先人より伝えられているご家庭もあることと存じます。種類や型、大きさに至るまで様々ですが、「うちは、コレ!」と毎年同じモノをお受けになられる場面を拝見させていただく度に心が温まります。
家訓があったり家柄を表わす神棚の在り方、正月を迎える時の松飾り等の在り方が確立されているご家庭ほど運勢がたかいような感覚を覚えます。「守られている」という信頼感は、心を強くし、人生を豊かにします。ご先祖様より受け継いだモノや心が多ければ多いほど、その家に住む人の固有性や家柄が美しく見えてきます。
途中で絶えてしまった場合は、どこかで始めた方が良いと思います。始める勇気も必要となります。日本の国柄は、ご皇室を敬い、皇祖を奉る伊勢の神宮さまを崇めます。家柄もこれに倣い、祝日には国旗を玄関先に掲げ、神棚には伊勢神宮さまのおふだ(神宮大麻)と地元神社のお神札をおまつりしましょう。それが整ってこそ、運勢が上昇し、縁起物を併せて飾ることにより強固となります。
縁起物には、破魔矢、熊手、箕、だるま、扇、金幣、ひょうたん、籠、俵、干支に関わる縁起物などなどたくさんあります。「これだ!」と思うモノを是非お選びいただき、後世に伝えて頂きたく存じます。先にも述べましたが、発する言葉も大切です。今のご時世、弱音を「吐く」ことも多々ありますが、「吐」から「-(マイナス)」を取ると「叶」という文字になります。「+(プラス)」思考で願いを大いに叶えましょう。
来年は、戊(つちのえ)戌(いぬ)の年。「戊」も「戌」も陰陽の「陽」で、陽同士が重なる時はその影響が大きくなります。良いものは更に良く成長します。土に還る意もあることから、原点に返って、悪いものは早めに見直す必要有りの年となりそうです。

皆様方におかれましては、大神様のご加護のもと、身も心も健やかにお過ごしになりますことを心よりお祈り申し上げ、本年の御礼とさせて頂きます。

幸せの条件第一位は・・・健康 H29.6.1  22号

日本人の幸せの条件第一位は、「健康」というアンケート結果が出ているようです(ちなみに他国のほとんどが「お金」です)。よく使われる「健康第一」は、幸せの最重要条件だったのです。神社に奉納される絵馬の祈願内容は、多くが家族や自分の健康を願うものです。ご神前に奏上する祝詞の内容も、どんな祈願であれ健康のことについては欠かさず読み上げられます。
悪いモノを寄せ付けさせない習慣や伝統儀礼を行なってきた日本人としての本能が、健康維持に対する思いに変わったのではないかとも言えます。海外では鼻水が出た時、ハンカチでぬぐい、ポケットにしまい込みます。また鼻水が出ると同じハンカチでぬぐいます。それに対して我が国では、ちりがみを使います。一度使ったものを再度利用することは極めて稀です。今の幼い子ども達は必ずと言っていいほど、キャラクターのポケットティッシュを持っています。幼い頃から「清潔」であることの大切さを教えられ(みっともない、恥ずかしいという「恥の文化」でもあるとは思いますが。)、各自ティッシュを持って処置します。外からお家に入る時は、外套を脱ぎ掛け、靴を脱いでそろえます。お葬式から帰る時は、気が枯れた己の身を塩で清め、心を整えてから家に入ります。厠は、たいてい屋外にありました。悪いモノを家内や体内に持ち込まないという所作に対して、世界中から「日本人はきれい好き(潔癖症)」と良くも悪くも言われます。
お風呂は毎日入ります。シャワーだけという海外の事情に比べ、湯船につかる率が断然高いと言えます。入浴は、体も気持ちもさっぱりし、幸せなひとときを感じるものであります。我が国全体が毎日禊をしているような感覚を抱きます。古来、神さまの前では身も心も清らかでなくてはならないという「清浄心」を、今を生きる我々が多少カタチを変えて受け継いでいるとも言えます。
悪いモノが心身についてしまったら、「水に流す」という習慣は所々で見られます。入浴や気持ちを切り替えるために冷水で顔を洗うのもその一つです。「水に流す」という言葉の源は禊(みそぎ)です。古来より受け継ぐ大祓式(おおはらいしき)は、知らずのうちに身についてしまった罪穢れを形代に移し、形代が我々のかわりに禊をします。大河道で身を濯がれて大海原まで流れ込み全てが祓われるという素晴らしいシステムになっております。夏至や冬至を過ぎてこれから日の長さが変わることにより、体調のリズムが変化するであろうタイミングに夏は六月三十日、冬は十二月三十日に行われます。幸せの条件には欠かせない祭儀ですので、是非とも参加したいものです。

皆様におかれましては、身も心も健やかであることが神さまにお近づきになれるありがたさと感じていた古来の人々に習い、日々身を清められ、大神様のご加護のもと、益々ご健康でありますことを心よりお祈り申し上げます。

思い込んだら・・・ H28.12.1 21号

師走に入り、皆様方もお忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。
『博士の愛した数式』より。「この紙に直線を書くと気持ちが落ち着くんだ。」と、息子が野球で怪我をして病院での治療中に動揺している母親に対して言葉を掛ける数学博士。早速母親が線を引いてみると、博士は、直線とはこういうものと思い込んでいる、ということを告げます。学校で習う「直線」は、黒板あるいはノート上で引きます。直線はどこまでも続くものですから、学校で教えるためには点と点をつなぐ「線分」を「直線」と思い込むしかないのです。「思い込み」に対して博士は優しく楽しそうに説きます。
「直線」の真実を求めていくと、ノートが何冊あっても足りないでしょう。また、シャープペンシル〇、三ミリメートルの細い線を引いたとしても、幅が生じるため、正確には「面」になってしまいます。幅をどんどん細くすると、見えなくなってきます。
約三十年前の中学生時代、数学の先生が授業中たまに口にしていて、小生の心に残っていたことは、「真実とは見えないもの」でした。だったような気がします。その当時は、先生の言葉の意味するところをあまり気にもせず、やり過ごしていたかもしれませんが、しばらく経ってから、なんと「哲学的」な口癖だったのだろうと、小生を数学や物理好きにさせてしまったのです。確かに直線の真実は、目に見えないのです。
「数学は嫌い」と思い込んでしまっている生徒はたくさんいます。親が「苦手だ」「不得意だ」「面倒くさい」と子どもの前で発言してしまうと、自然と子どもも「数学は嫌い」と思い込んでしまいがちです。問題を解けるようになると楽しさ嬉しさが溢れてきますが、その前に目を背けてしまっているようにも思います。
「思い込み」は、真実とは異なるところに行きつくことが多くあることを人生の中で実感します。特にも神さまのこととなると、そもそも目に見えない御存在ですから、思い込みや自己都合の判断で接することもあるでしょう。現実を生きていく中で、真実を決して忘れないよう心していきたく存じます。

来年は丁酉(ひのととり)。直角を意味する「丁」の年は、全てが直線のように地から真っすぐ伸び、姿かたちも整う年といわれます。「酉」の年は、今までの成果が実を結び、導きを感じたり、ひらめきがあったり、それによって実が色も味も形も良く熟成され、結果的に成功へとつながる年と言われます。良い味になるよう祈ると共に、不撓不屈の精神をもって何事も諦めないことが肝心となるでしょう。

奥義秘伝 H28.6.1 20号

まずもって、九州地方を襲った群発地震によって犠牲となられた方々に哀悼の意を捧げます。また、行方不明の方々の早期安否確認を願いつつ、困難な生活を強いられている皆様方には心よりお見舞い申し上げます。
さて、駒形さん十五号「困った時は・・・まず笑ってみる」の中で、現世人類は、「笑顔」を視覚野のみならず、偏桃体でも捉え、物見とは違う「笑顔」を感じる機能が備わっているお話をさせて頂きました。ヒトの「笑顔」は、周りのヒトの心と体に効いて、ヒト同志の関係を結び、和ませる力があります。現代では、親の笑顔を一子相伝で受け継いでいる人が多くなりましたが、大昔の当時は「笑うことが出来たヒトには、福がある」と、珍しがるヒト、応援したいヒト、仲間になりたいヒト、がそこに集い群れたのではないかと思います。
神話「あめのいわと」のお話。スサノオさま(元祖いじめっこ)からいじめを受け、心傷ついたアマテラスさま(元祖ひきこもり)が洞くつにこもった時、太陽の女神さまが閉じこもったので、世界が暗くなり、病気や災いが増え、みんながとっても困りました。周りの神さま方は、どうしたら良いか考えます。まずはニワトリを鳴かせます。次に祝詞を読んで、飾り付けをした榊(さかき)を捧げます。最後にアメノウズメさま(元祖踊り子)が面白おかしく踊りました。(お立ち台でどんどこ踊ったことが太鼓の起源とも言われます。泣いている子をあやすのには、でんでん太鼓がとっても良いことも、この神話のお話が起源なのかもしれません。)周りの神さま方はおかしくて大笑いしました。困っていたはずですが、大笑いしました。岩屋で「あれ?」と思ったのは、アマテラスさまです。「混沌とした世界になっているはずなのに、みんな笑っている、どうしたのだろう」と岩屋の戸をそっと開けて、みんなの笑顔を見たのです。その瞬間、タジカラオさまが戸を投げ、しめ縄を張りました。差し出した鏡にはすっきりとしたアマテラスさまが映っています。笑顔の力によって、アマテラスさまが力を増したことは、言うまでもありません。世界に福が来たりて、またたくまに明るくなったのです。(神話には、神さま方がどんどん成長されるお話がたくさんあります。私どもも神さまはどのように成長されたのだろうと、思いを馳せ、人としてどうあるべきかを神話に習うことも大切なことなのだと思います。)
現代の笑顔研究では、周りの人への影響よりも笑った人への影響を調べる研究がなされています。笑うと(つくり笑顔でも)脳が活性化されたり、ストレス反応が緩くなったり、血糖値をあまり上昇させない効果があったり、自分で治癒する能力をもつ遺伝子が動き出したり、うつを抑制したり、良いことばかりの結果が得られているようです。

皆様におかれましては、神話に習い、笑顔の奥義を知る一方、周囲へも優しい笑顔を振りまきつつ、大神様のご加護のもと、益々ご多幸でありますことをお祈り申し上げます。

不眠不休 H27.12.1 19号

師走に入り、皆様方も駆け足で過ごす時期となったのではないでしょうか。非力な小生は、そんな時ふと第三十代内閣総理大臣を務められた水沢出身の齋藤(さいとう)實(まこと)氏を思い出すのです。氏は、青年時代細身だった体を、駐米の時、恰幅良い体格に改造し、不眠不休に耐え得る強靭な体力を備えたといいます。その精神力や体力の支えがあってこそ、「秋津洲」「厳島」の艦長の任務を全うしたり、朝鮮総督に就任したり、総理大臣や内大臣を務められたのであろうと思います。氏は、要職を粘り強く根気強く熟し、誰に対しても融和的であった文化政治を成し遂げた孤高の政治家であったと、当時の状況を鑑みれば、その方面においても憧れを覚えるのであります。
さて、祝日でもある十一月二十三日「勤労感謝の日」は、全国の神社で新嘗祭が斎行されました。世間では祝日名の通り、不眠不休で働く方々への感謝の日と解釈され、家庭でも毎日頑張って働くお父さんお母さんへ感謝する日となりつつあります。しかしながら、元来、二月の祈年祭にて五穀豊穣や各産業の繁栄を祈念する祭儀に対して、願意成就の感謝の御祭が新嘗祭であると言われます。日本人が誰かにお願いをした時、必ず御礼をするのは、お願いと感謝の一対の御祭を通して培われた道徳心なのではないかと思います。占領軍GHQは、この道徳心を醸成する新嘗祭などの祭儀と国民の深いつながりを危険視し、米国でのレイバーデイとサンクスギビングデイをつなぎ合わせ、和訳したのが勤労感謝の日となり、案の定、日本国民に定着してしまったのです。日の神さまをはじめ、八百万の神さま方のお恵みやお働きに感謝するという大切なことを決してお忘れにならぬよう願いたく存じます。

不眠不休で我々にお働きになる神さまを思う時、自身の「働き」はどうなのかを考えてしまいます。人が動く、人を動かすと書いて「働く」。小生の師曰く、食べるための仕事を「ライスワーク」、趣味のように好きでやっている仕事を「ライクワーク」、自分の人生をかけて取り組む仕事を「ライフワーク」と言うが、いずれにしても世の為人の為になる仕事をすることが「働く」、だと言います。更に、人の心に光を与える仕事を「ライトワーク」と話された時、小生の目指すべき働きは「ライトワーク」なのではないかと確信しました。迎える御年は、地域の子ども達や悩める方々の心に灯をともす働きを目標として頑張って参りたく存じます。

知覚動向(ともかくうごこう!) H27.6.1 18号

初夏の候 皆様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
日頃は、当社諸行事・運営に格別なるご協力を賜りますことに衷心より感謝申し上げます。
さて、本年は大東亜戦争終結七十年を迎えます。郷土出身の英霊を祀る境内社「水沢招魂社」の例祭を六月二日に斎行致し、我が国を守るために尊い命を捧げられた英霊に対して神職・遺族・関係者一同感謝の念を捧げました。ただただ毎年心苦しく思うことは、「我々は必死に自分の国を自分で守ろうとしているか」、「現在の我が国の在り様は英霊の思いに叶っているのか」ということ。英霊の御前で瞳を閉じると、英霊に対して礼を逸している部分があるのではないか、時代の急速な流れに合わせ、かろうじて伝統文化の継承や日本の心を守り伝える活動を展開しているに過ぎないのではないかという葛藤が生じます。  
奥州市教育委員時代に道徳の授業強化を掲げて参りました。道徳授業の研究会も多く開催されましたが、もっと教育の根本自体が広められなければならないのではないかと教育委員退任後に気付くのでした。平成十八年に教育基本法が改正され、「道徳」や「郷土愛」等の文字が組み込まれたものの、一般に教育の目的、目標、理念を記す第一条から第三条までを目にすることは少ないと思われます。今後育っていく子ども達のために、更には我が国の将来のために、為さなければならいことがあります。大東亜戦争の後、GHQに排除されてしまった「教育勅語」に今一度焦点を絞り、広めて参りたいのです。
「子は親に孝養を尽くし、兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、進んで社会公共のために貢献し、法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」
教育勅語の十二の徳目を口語文訳すると、この教えは昔も今も変わらぬ正しい道でありましょう。校訓や理想の児童・生徒像にも多く用いられております。教育の根本を国民すべてが知ることこそ、国の力と成り得ることであり、世界に誇る国民性が守られるのではないかと思っております。
また、戦後七十年他国の人がつくった日本国憲法を守り続けたことは、皮肉にもすごいことですが、もうそろそろ自主的な憲法を制定する方向に進まねばなりませぬ。美しい日本の憲法をつくる機運が高まっていることに大賛成です。合わせて、国際連合憲章に残る「敵国条項」の中に「日本」の国名が記載されたままであり、未だ他国に悪用されている点からも早急な削除を願うものであります。国際社会に羽ばたいていく子ども達のために。『知覚動向(ともかくうごこう)』という時節となりました。

心構えは、『心が前』 H26.12.1 17号

震災から三年と九か月が経ち、改めて復興のために今できることは何だろうと、ふと考えると、関東大震災後の復興院を創設した後藤新平氏を思い馳せます。当地出身の新平氏が物事の将来を見据える力、いわゆる先見の明に長けていた背景には、調査重視、原因究明と心構えに尋常ならぬものがあったのではないかと思わせられます。
人間の能力は、「知識と技術と心構え」と言われるようですが、新平氏の心構えは、正に「心が前向き」であったと思います。本職である医師から始まり、いろいろな事に挑戦し続けた新平氏に敬意を表せずにはいられません。新平氏は己の向き不向きで物事を判断するのではなく、いつも目の前にある課題に前向きに取り組む姿勢があったのです。それはとても潔く、誰が見ても共感と感動を覚え、信頼され、たくさんの人を動かすことに繋がったのではないかと思います。時には先を見据え過ぎて批判を受けたことも何度もあったにしろ、信念を貫き、後に皆に「そういうことであったか」と思わせるところも、歌舞伎で言うところの「もどり」に似ていて、更に感動を覚えさせるのです。台湾統治にあたっての阿片根絶施策の時には、あえて禁止する方法を取らず、阿片を高い税率にして売ったといいます。当事者は、「なぜ禁止にしないのか」と思ったことでしょう。税収を撲滅運動に充当し、常習者の反感を買うことなく五十年という月日をかけて根絶させたことは、後々に新平氏の施策が、そういうことであったかと気付くのです。東京の百メートル道路や放射状・環状道路もしかりです。当時はそこまで必要がないだろうと誰もが思ったことでしょう。自動車の急激な普及や防災都市、国際都市としての今のありようを見れば、誰しもがそういうことであったかと気付くのです。

心が前向きだと、積極性と明朗性を周囲に感じさせます。心が前向きになると、素直になれたり、何事にも感謝の気持ちを持てたり、人の悪口を言わなくなります。このような姿勢は、誰が見ても美しいと感じることでしょう。そして、人を動かすのです。新平氏は人材育成に長けている印象ですが、新平氏の言動や姿勢に周囲の人間が動かされたと言っても良いのではと思うのです。新平氏に揮毫戴いた「駒形神社」の扁額は、拝殿向拝に掲げられております。ご参拝の折には是非「心が前」を思い出して欲しいと願います。

おむすび H26.6.1 16号

初夏の候 皆様におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
日頃は、当社諸行事・運営に格別なるご協力を賜りますことに衷心より感謝申し上げます。
さて、昨今、コンビニエンスストアが、年々増加しているように思います。年中無休で夜中も営業していることから、日用に供する食品・商品を手っ取り早く購入できます。その便利さに、今では地域に無くてはならない存在にまでなってきているようです。震災の際にも停電の中、懐中電灯で照らし、電卓をはじきながら最後の商品まで売って頂いた記憶に、今でもありがたさを覚えております。
「東京に本部を置くコンビニエンスストアの売り上げは、東京に。」地元にとっては手痛いところです。「夜行性の少年らが吸い込まれるように集合する場所。」聞き捨てならない不安な部分もありますが、今では季節商品も東京に合わせたモノではなく、地方の気候に対応されているところが、地域に利用される要因の一つになったのではと推測します。
コンビニエンスストアでの売り上げ第一位は「おにぎり」。諸外国のコンビニエンスストアでは「ムスビ」という名称で棚に陳列していると言います。
「おにぎり」と「おむすび」の違いについては、諸説あるようですが、呼び名の相違は歴然としているのです。結論から言えば、お米一粒一粒に宿る「稲魂(いなだま)」を一つ一つ結ぶ作業の行程に、神事とも言うべき施しがあるのが「おむすび」と言えるのではないかということです。
稲魂を清水で磨き、忌火(いみび:各家庭で火入れ式をしてから清められた火を絶やすことなく守られている火)で炊き上げる。炊飯の部分でさえ、我が国民がお米を大切にする様子が伝わってきます。水で手を清め、掌(たなごころ)に御塩を乗せ、全身全霊をもって米と米を結ぶ。神職が禊(みそぎ)をする際に、みぞおち付近で左手を下、右手を上からふっくらと被せ、掌の間に祓戸(はらえど)の神たちを宿し、上下に揺さ振る「振魂(ふりたま)」にも似ているかのようです。
子ども達は「おむすび」が大好きです。特にお母さんのこしらえたおむすびを口を大きく開けてパクっと食べると、笑顔になり、パワーを発揮します。稲魂と親の愛情の強さを見て取れるようです。

日常生活の中で、神事が絡んでいることはたくさんあります。昔ながらの手間のかかる方法に、そういう部分が隠されていることもあります。根本を知ることで、日本が日本であることを「なるほど納得」と、「この国に生まれてよかった」と思う場面にもたびたび遭遇します。そのような面白い部分を後世に語り継いでいきたいものです。

困った時は・・・まず笑ってみる H25.12.1 15号

震災から二年と九か月が経過しました。現在も尚、理不尽な生活を余儀なくされている方々へ心よりお見舞い申し上げます。当神社は昨年暮れに約二年がかりで復興事業完遂に至り、今を以てもご協力賜りました皆様、担当業者様に感謝申し上げる次第です。
本年は参道拡幅事業と緊急的に潔斎所(祭儀前に身を清めるところ)を改修致しました。至る所老朽化が進み、緊急的な工事によりご参拝の方々にご迷惑をお掛けする場面も多々ありましたことに心よりお詫び申し上げます。
さて、今年の菊花奉納は、「第一回駒形神社宮司杯菊花展」と名称し開催致しました。奥州市長様、金ヶ崎町長様を始め、各界よりご後援賜り、誠にありがとうございました。菊花を育てる技術向上意欲が、より一層昂揚したのではないかと思われます。審査会では、専門家より「背の高さはみんなに良く見えるように育成する」「審査日に花弁を最大にする」「開花させてから長持ちさせる」「花の種によって特徴的なところを強調する」など菊花育てに大切なことを伺いました。「鑑賞される方々が笑顔になるようお世話をする」という心掛けの下、細心の注意を怠らず、日々根気強くお世話を続ける苦労が有りつつも、菊花育ての親が最も素敵な笑顔であったことをお伝え致します。

話は変わりますが、近頃、人類起源の謎を度々テレビ放送されております。アフリカ発祥の現世人類は約七万年前のトバ山噴火による気象変動(ヴェルム氷期)を衣服着用によって生き残ったと言われます(そのころにコロモジラミが発生したことから)。人類傍系が絶滅する中で、現世人類が生き残ったのは「衣を羽織った」だけでなく、「笑顔」を作れたこと、「物を分かち助け合う」ことが出来たからと言います。傍系はそれが出来ない故に滅んだとも言います(二足歩行で骨盤構造が変わり手助け無しには出産できなくなった故に、助け合えない傍系は滅びるしかなかったのかもしれません)。アフリカから世界大陸へ進出し、一番遠い日本へ来た現世人類はさぞ探求心と根性があっただろうと推測します。我が国の「笑顔」と「仲良く半分こ」の精神は、我が国伝統の宝でありましたが、今では世界の宝でもあると言えます。母親に抱かれた赤ちゃんは、外部の人間を見た母親の表情が笑顔だったかどうかで信頼出来るか出来ないかを判断すると言います。「笑顔」は物を見る視覚野ではなく偏桃体で捉えていると言います。物見とは違う「笑顔」を感じる機能が現世人類には備わっているのです。これからも衣裳文化の継承と笑顔の絶えない助け合い精神溢れる日本であって欲しいと願います。

生まれかわる H25.6.1 14号

【神宮(じんぐう)】
本年は天皇陛下の祖神さまをお祀りする神宮の式年遷宮の年であります。神宮は、内宮、外宮を始め百二十五社をあわせて「神宮」と総称しておりますが、各社、現社殿のお隣の土地へ新しく社殿を建て、秋には百二十五社すべてが順次古い社殿から新しい社殿へ神様がお遷りになります。約千三百年間二十年に一度、ご社殿もご神宝もご装束も生まれ変わるという稀な伝統を現代に受け継いでおります。パルテノン神殿など西洋の遺跡を見るに、絶対に壊れない建物を造ろうという西洋の思想には無いであろう「生まれ変わる」という式年遷宮は、現在も生き生きとした命を感じさせられます。二十年という定まった期間は、昔の姿そのままに建て直す、造り直す技術を親の代から子の代へ、子から孫へと受け継ぐに都合のよい期間だったのかもしれません。
【清浄(せいじょう)】
古今問わず、麗しき山川の姿に神を感じる方もおいででしょう。自然が美しいように我々も美しさを求めます。清浄を保って初めて神様にお近づきになれると考えた日本人。現代でも神社に参拝する際は、手水で身や心を清め、鈴や大麻で祓います。「私は清らかだから祓わなくていい」という日本人はいません。常に清め続けることが身も心も清浄に保ち、それを誠の心と意識していたのかもしれません。
宮中を始め、各神社では六月と十二月に大祓式を執り行います。夏至や冬至の後、日が短くなったり、長くなると生活のリズムも変わります。季節のリズムに溶け込めるよう気持ちを新たにします。また、半年で身に付いた罪穢れを形代(かたしろ)に移し、河に流します。「水に流す」ことによって何も無かったかのように清浄な身心に生まれ変わります。
神職は祭儀前や各行事で禊をします。海や川、冷水で身を削いで清浄な状態になります。日本人がお風呂好きなことが理解できます。呑み水で体を洗うなんて、西洋では考えられないことでしょう。日本人は、鼻をかんだ紙を捨てます。西洋では、ハンカチで鼻をかんで、ポケットにしまいます。清浄さの違いが分かりますでしょうか。家に入る時は靴を脱ぎます。上着も脱ぎます。外からの病原菌を家中に入れない為。厠も外にあったのを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
【年中行事】
「初詣」は、新たに「生まれ変わる」思いで、一年の計を神前にお誓い申し上げます。
「節分」は、宮中行事でありました。春夏秋冬の節目、年に四度ある節分の一年で最初の立春前の節分が重要視され、桃の弓、葦の矢を用いて疫病などを鬼と見立てて祓いました。現代では、豆まきや恵方巻などが流行しております。昔は桃が邪気を祓っていました。古事記に出てくる鬼も桃で退治。昔話「桃太郎」も桃の力を象徴しております。身心や家の中を桃の力で祓って全てが清らかになり年の初めを迎えたのです。
「ひなまつり」は、大祓式に似ています。ひな人形に我々の罪穢れを託し、水に流します。生まれ変わりを感じたことでしょう。当初の「流し雛」から平安時代の「雛遊び」、江戸期には「飾り雛」が確立します。神職からすれば、水に流さなかった罪穢れはどうなるのだろうと思ってしまいますが、思想自体が娘の幸福を願うという風習に変わってしまったのでしょう。
「こいのぼり」は端午の節句。昔は厄災を祓う重要な日で、解毒作用のある菖蒲の薬玉を柱に下げ、頭にかぶる冠にも菖蒲を飾り付けました。鎌倉時代から「菖蒲」と「尚武」をかけて、武運長久を願う日となりました。鯉幟が誕生したのは江戸中期。男の子の武運を願うという風習に変わったようです。
「お盆・七夕」はご先祖さまの送り迎えの祭。クライマックスの盆踊りの際には陰暦でいうと満月になり、薄明るい中で、夜通し踊り続けた時代もあったようです。まるで現代のように。
【最後に】
崩れたら直し続ける、壊れたら更新し続けるしか大自然と共に生きていけないと考えてきた我が国に、大津波が襲いました。警察・消防・自衛隊の方々が捜索活動を続ける中で、神職は大祓や鎮魂のまつりを行って参りました。復旧し続けることや学んだ知恵を後世に伝え続ける、祓い続けることによって、国も人々の心ももっともっと強く「生まれ変わる」ことを心より願っております。

平成二十四年壬辰を振り返って H24.12.1 13号

本年壬(みずのえ)辰(たつ)歳一年を振り返ると、例年通りの正月参詣人が当社を訪れていただきました。ただただ想いを馳せるのは、県南の地震被災神社や、沿岸の津波被災神社のことでした。氏子区域が消失した沿岸部は、辛い正月であったことを察するに堪えません。当社においては、建物屋根・壁を被災したこともあり、瓦の落下と雨漏りが問題点でした。参詣者の安全を図る為にもシートで屋根を覆う他はありませんでした。今年度に入り、補修・補強工事の必要に迫られ、募財協力、職人、その他関わる全てが整い、被災建物復旧工事が始まりました。工事期間中は参詣者の皆様にご迷惑をお掛け致しましたが、年内に工事完成の由をご報告致すと共に、衷心より御礼申し上げます。

五月一日、神社本庁より宮司を拝命。六月六日、神社本庁にて辞令交付式。その後、宮内庁に参向し、天皇皇后両陛下のご記帳簿に、宮司就任ご挨拶として恐れ多くも記帳をさせていただきました。記帳するための筆を持った瞬間、旧國幣小社の宮司に就任することが、重き責務であることを改めて実感致しました。九月二十六日、「宮司就任を祝う会」を総代ら十八名が発起人となり開催頂きました。岩手県神社庁長西舘勲様、奥州市長小沢昌記様を始め、ご出席賜りました皆様、全国の皆様より激励のお言葉や記念品を頂戴致しました。駒形保育園年長児も元気いっぱい踊ってお祝い頂きました。心より感謝申し上げます。小生の誓いは、五つの視点を意識することです。一つ目は「自分の視点」、二つ目は「相手の視点」、三つ目は「第三者の視点」、四つ目は「未来からの視点」、五つ目は「過去からの視点」です。恣意独断・自分勝手という「自分の視点」は充分引き締め、「過去からの視点」でもある古典を修養し、先人の遺訓や歴代宮司のご功績に学び、また、それを広く伝えていく神職でありたい、と誓います。浅学非才また若輩の身でありますので、諸先輩方から常に学び続ける所存でございますので、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

宮司就任あいさつ H24.6.1 12号

この度、神社本庁より五月一日付をもって駒形神社宮司の大任を拝命致しました。
顧みますと、平成二十一年三月十八日に先代山下知彦宮司が帰幽し、後任として同年五月一日に駒形神社宮司代務者を拝命致しました。素より浅学非才の身でございますので、歴代宮司のご功績を偲ぶほど職責の重さを痛感致しました。当時は大変な時期ではございましたが、岩手県神道青年会と東北六県神道青年協議会の会員に支えられながら会長を二年間務めさせて戴き、会員相互が切磋琢磨する真摯な姿勢や、地域の信仰神学を学ばせて頂きました。地元小学校のPTA会長は本年五年目を迎えました。保護者や先生方の子どもの世界のつかみかた、愛情表現の在り方や地域の方々の見守り・心配りを学ばせて頂きました。奥州市教育委員として三年目、次代を担う子どもたちに対する教育行政の在り方を考えさせられました。保護司に就任してからはまだ間もないですが、更生の在り方も考えさせられました。日々多方面の情報を得、自分に求められる使命は何かを考えるうちに三年が経ち、今後は、情報を取りまとめ、今求められるもの、守り続けなければならないものを的確に捉え、地域のため、我が国のために邁進する所存でございます。
本務につきましては、ご祭神のご加護を仰ぎつつ、皆様方のお力添えにより、先代の心残りであった駒ケ岳山頂奥宮のご造営を人力による建設材料運搬によって平成二十二年八月に見事に竣工致しました。地域の子育て事業の取り組みである駒形保育園の園舎新築工事は、奥州市や岩手県林務部のお力添えにより平成二十三年十月に竣工しました。木造平屋建てのこもれびの家(異年齢児棟)とひなたぼっこの家(管理乳児棟)が鎮守の杜に溶け込むような素晴らしい建物になったことは、保護者の皆様をはじめ、地域の皆様のご理解ご協力と、建設関係各位の誠心誠意なる工事取り組みのお陰と思っております。心より感謝御礼申し上げます。
駒形神社宮司を拝命致した今、再度、気持ちを引き締め直し、明治期に國幣小社の社格に列せられてより二十三代目の宮司として更に研鑽を積み、神社信仰の尊厳護持とご神徳の発揚に務めて参ります。まずは、東日本大震災で被災した建物の震災復旧作業と放射能対策に務め、地域の方々が安心して参詣できるよう、心のよりどころたる鎮守の杜を守り続けます。また、地域の方々が大神様のご加護のもと、ご健勝でありますように日々の神明奉仕に務めて参ります。

今後とも変わらぬ御交誼を賜りますよう宜しくお願い申し上げ、宮司就任の挨拶とさせていただきます。

辛卯年(平成二十三年)を振り返って H23.12.1 11号

本年辛(かのと)卯(う)歳一年を振り返ると、年末年始には例年に見ない大雪が東北地方のみならず、九州方面の神社でさえ、初詣は積雪による混乱が生じたと聞き及んでいます。そして三月十一日の東日本大震災、四月七日の大余震。人力の及ばない自然の猛威に成す術もなく、福島第一原発の事故も重なって、誰もが混迷したことと思います。そのような時だからこそ日本人の美質を発見できる場面が数多(あまた)にありました。救助活動をはじめ、全国的な物資・復興資金の支援活動、心のケアサポート活動、ボランティア活動などなど、自らの命や財産、時間を削り、困っている方々への援助を行うことを当たり前のようにしている様子は、世界から称賛された日本人らしい振る舞いなのです。そのようにさせたのは津波で被災した沿岸部の方々なのかもしれません。家や家族をはじめ多くの財産を失いながらも懸命に耐え、精一杯生きる姿が、日本や世界中の人々の心を動かしたのだと思います。
 岩手県教育委員会では、復興教育を推進しております。小生としては「自分さえ良ければ主義」を抜け出し「日本人の心」を取り戻すために、各教科に道徳項目を取り入れて欲しいと願っています。三十年ほど前から検討している先生方のお力をお借りして、今こそ実行に移したいのです。また、小学校に英語が加わりました。国際人を育成するためには、本来、国語や国史を強化すべきですが、決まった以上は英語の授業で、英語圏の文化と日本の文化の違いを習得できる時間になるよう心掛けるしかありません。我が国の「伝統文化」と「誇り」を知らず、世界に出た時、恥ずかしい思いをした人がたくさんいるからです。「日本に生まれて良かった」「日本が大好き」という思いが心の軸にある人ほど世界に通用するのです。
 本年は大雪、地震、津波、台風と近年経験し得ない災難の年でしたが、災害対応や教育、環境、政治など大いに考えさせられる年だったのではないでしょうか。
来年は壬(みずのえ)辰(たつ)歳。陰陽五行で「水性」の「陽」に当たります。新しく生まれる意があり、強い信念があれば、何事も不可能が可能になり、伸びゆく年になりそうです。

駒形保育園は十月三十日に落成式を迎えました。「こもれびの家(異年齢児棟)」と「ひなたぼっこの家(管理乳児棟)」の木造園舎二棟が竣工し、子供たちの賑やかな声が神社の杜に響き渡ります。地域の太陽である子ども達が、木のぬくもりの中で生きる力と思いやる心を育める年にしたいと存じます。

大震災から復興に向けて H23.6.1 10号

まずもって先の震災によって犠牲となられた方々に哀悼の意を捧げます。また、行方不明の方々の早期安否確認を願いつつ、困難な生活を強いられている皆様方には心よりお見舞い申し上げます。
当神社も些少ではありますが、本殿の千木損傷、神饌所壁面ひび割れ、斎館天井落下・壁面剥落、龍昇殿屋根損傷(木造部と鉄骨部の分離による)、玉垣・燈篭倒壊など計二千五百万円の被害を受けました。神社職員や隣接する駒形保育園職員や子供達に怪我が無かったことは幸いに存じます。現在、復旧工事は一割程度の進捗状況です。今後も参拝される方にご迷惑をお掛け致しますが、皆様のご支援ご協力を戴きつつ復旧完了まで頑張って参ります。
去る五月三日、奉遷記念大祭に合わせ東日本大震災復興祈願祭を斎行致しました。被災地や被災者に平穏な日々が速やかに訪れるよう、皆が心を一つに力をあわせて邁進することをお誓い申し上げました。祭儀後は復興神楽の奉納。午後からは毎年恒例の子供騎馬武者行列・稚児行列(駒形保育園児年長四十四名)に震災復興祈願行列が加わりました。被災地での支援活動はなかなか出来ないけれど、祈りを捧げたいという小、中、高、大学生の子供達がこの行列に参加して頂いたことに胸を打たれる思いでした。自分達と同級の子供達が津波にさらわれたり、避難生活を送っていると思うと何かせずにはいられないという心境だったようです。また、被災地(多賀城市・南三陸町・陸前高田市)から奥州市に避難している子供四名も特別参加頂き、復興への先陣をきって凛々しい鎧兜姿で騎乗しました。沿道観覧者に感動を与え、かえって奥州市民が元気を頂いたようでした。この行列によって集まった義捐金は奥州市に寄託致しました。皆様方の『思いやり』に感謝しつつ、祈りが被災地に届くことを願うばかりです。この行列のために作成した「復興祈願のぼり」は、北は盛岡、南は静岡県掛川市(姉妹都市)まで広がっています。人の想いの繋がりに驚くばかりです。
駒形神社を崇敬した水沢出身の後藤新平は、関東大震災後、復興院を創設しました。将来像を明確にし、確実に実行する偉業を成し遂げています。新平の想いが当時の被災者に生きる勇気を与えたのです。
復興に向けて、未来の街の姿を明確に打ち出すことが、今もっとも大切なことです。その目標に向かって歩み出すことが、被災者の希望に繋がっていくのではないかと存じます。

最後に、沿岸部への支援物資を当社にお寄せ頂きました方々、当神社にお見舞いを賜りました方々に心より感謝申し上げますと共に、今後も種々の支援活動、復興作業に全力を尽くして参ります。

駒ケ岳山頂の奥宮ご造営竣工にあたり H22.12.1 9号

本年庚(かのえ)寅(とら)歳一年を振り返ると、奥宮のご造営に全力を尽くした一年でありました。奥宮ご造営実行委員会(高橋照治会長)をはじめ、地域の皆さまの物心両面にわたる手厚いご協力によって、八月一日に奥宮が竣工を迎えましたこと、衷心より御礼申し上げます。お蔭さまをもちまして、錦織りなす秋口に奥宮を登拝する方々が多くなり、また、来年元日にも雪山を登って参拝したいという問い合わせも受けております。竣工後、どこの神社か分かるよう社名額と由緒額を社殿に取り付けました。九月には竣工奉祝会を開催し、尽力頂きました方々へ感謝を込めて記念絵馬・記録集をお渡し致し、特にも荷上げ奉仕をご協力頂きました方々へは、記念メダルを贈呈致しました。前社殿の鉄筋を含有したメダルは重々しく、ご労苦をお掛け致しました皆様の涙を誘ったようです。十一月の実行委員会では、奥宮のご造営や旧お駒参道の整備、藩境塚に関する意識高揚などの目的以上を達成したことを承認され、本事業を寿ぎながら委員会を解散致しました。今は亡き先代宮司の想いを果たせたことで、小生も委員も少し肩の荷が下りた気がします。今後は、荷上げ奉仕やご協賛を賜って完成した奥宮を大切に守り、この浪漫溢れる事業を後世に伝えなくてはならない責務を自覚していく所存でございます。

また、本年は教育勅語が渙発されてより百二十周年を迎えたこともあり、「良心の復興」や「和文化が人間力を高め不思議な力を発揮させる」ということを自分の心に掲げました。資源が乏しく武力を持たない我が国が世界と対等であるためには、「人間力と文化力を高める教育」の再生が必要になります。ご造営に触れることで、皆々様に不思議な力が備わればと思いを馳せた年でもありました。

継承と再生 H22.6.1 8号

本年は、駒ケ岳山頂奥宮の約五十年ぶりのご造営と、当社隣接の創立六十周年を迎える駒形保育園の園舎建て替えの二つの大事業を全力で進めております。今年は庚寅の年で、物事の様子が変わる年、その変わり目が見える年と言われております。変わり目を慎重に見定め、古を継承し、良き方向に再生しようと皆様方のお力添えを頂いております。
奥宮につきましては、昭和三十六年ご造営のコンクリート造から、それ以前の木造(総栗材使用)へと様相を戻し、八月一日竣工祭を目指して計画を進めております。春先、基礎材(砂、砕石等)をスノーモービル隊の応援を得て、雪渓を往来しての運搬作業。土のう袋一二五〇袋のうち六〇〇袋は駒ケ岳山頂付近まで、四五〇袋は夏油ルートの合流地点まで運びました(一袋十五kg)。五月二十三日、駒ケ岳山頂にて奥宮ご造営地鎮祭を斎行。材料の荷上げのお手伝いを頂く方々のうち七十名がルートの下見を兼ねながら、作業安全の祈りを込めてご参列賜りました。五月二十五日、北上の小菅工務店工場にて建物の事前組立ての視察。コンクリート造とは異なる重みを感じます。視察の後に、駒形神社の岩﨑里宮に参拝。駒形神社に関わる多くの資料が金ヶ崎里宮と岩崎里宮に保管されております。貴重な資料である数百年前の奥宮棟札や藩政時代南部・伊達両藩の方々が裏表にそれぞれ記名したワニ口の実物を拝見させて戴きました。棟札に記された大工宮澤氏の子孫が花巻在住と伺い、早速出向きました。ご先祖様の奥宮への思いを語られる子孫の宮澤氏に、継承の大切さを実感させて頂きました。また、両藩の人々が藩境の垣根を越えて一つのワニ口に名前を記したことは、古来よりの平和への祈りが込められていたのではないかと推測できます。この日、同行頂いた金ヶ崎里宮の畠山宮司様と岩﨑里宮の高橋宮司様と小生の三人の宮司が会したことは、長い間途絶えていた本社と里宮の繋がりを再度深めたという意義深い出会いとなりました。
五月三十日より六月二十日まで荷上げボランティア延べ三百人が大活躍致します。四十五Kgの物を背負う者、四往復する者など強靭な方々をはじめ、老若男女問わず多くの方々に関わって頂けることに感謝申し上げますと共に、作業の安全を心より祈っております。
保育園につきましては、昭和二十五年三月に創立より三度目の改築になります。東西に長い敷地の東側に異年齢児棟、西側に乳児・管理棟、中央に園庭という一見変わった配置になります。奥宮も木造になりますが、こちらも木造平屋の建物になります。来年三月に全てが竣工致します。子どもたちは地域の宝、国の宝。鎮守の杜に守られながらその宝を是非とも磨かせて戴きたいと存じます。工事期間中は、神社参拝者へご迷惑をお掛け致しますが、どうかお許し頂ければ幸いです。

最後に、皆様方の二大事業へのご理解ご協力を賜りますようお願い申し上げますと共に、心身ともに健やかに本年後半をお過ごしになられますようお祈り致しております。

今年を振り返り、来年を考える H21.12.1 7号

今年も年の瀬を迎えましたが、皆様はどのような一年だったでしょうか。一年を振り返ると、小生にとっては三月十八日に山下知彦先代宮司が帰幽されたことが、昨日のように思い出されます。計画進行中の金ヶ崎駒ヶ岳山頂の駒形神社奥宮ご造営については、毎月一回ほど実行委員会が開催され、先代宮司ならどのように考えただろうか、と思い馳せております。十月中旬、旧お駒参道の割り出しと草木刈り払い等の整備を完了することができました。確認のため登頂する際には、足の寸法が同じだったこともあり、先代宮司の形見の登山靴を履いて登りました。十一月二日、奥宮のご社殿解体清祓式を執り行いました。お祓いをしたとは言え、その解体の光景は、少し心が痛みました。「されど、これから再生するのだ」と心に言葉が響き、次に進む意欲を湧き立たせてくれました。
 毎年恒例の駒形神社全国一ノ宮巡拝旅行会は、今年記念すべき十回目を迎え、十一月中旬、群馬・長野・山梨・埼玉各県の一ノ宮を巡拝致しました。山梨県の一ノ宮浅間神社は、先々代宮司が禰宜を務めた社でもあり、そこで先代宮司が誕生しております。浅間神社古屋宮司様から当時の様子を伺えたことに、涙が溢れるほど感激致しました。今回の行程に浅間神社様が予定されていたことは、偶然とは言え私の心に残る先代宮司の出生を探る旅路となりました。
 五月より後継の宮司代務者を務めさせて頂きましたが、思うことはただ、責任役員・総代を始め、皆様方より賜りましたご厚情への感謝です。お力添えによって勇気が湧き、神明奉仕致し、国の安寧と皆様方のご多幸を祈るという循環が実感できる半年でした。今後も皆様との「縁」と「和」を大切にし、務めて参りたいと存じます。
 来年は、皇紀二千六百七十年。平成二十二年庚寅の年です。改まる・変わるの意があり、期待が膨らめば膨らむほど、裏切られた時の失望も大きくなる年であります。理想と現実の違いを受け止め、良く変わっていくように粘り強い努力が必要なようです。「成功の秘訣は計画をやりぬくこと」と言われることもありますので、小生としましては、年柄を見定めた計画をたて、臨機応変に物事に臨んで来年一年間を頑張ろうと考えております。 

皆様方におかれましては、大神様のご加護のもと、各ご家庭で良きお歳をお迎えになり、幸多き一年となりますことを、心よりお祈り申し上げますと共に、来年も当社諸行事にご協力賜わりますよう宜しくお願い申し上げます。

宮司代務者就任あいさつ H21.6.1 6号

去る三月十八日、前山下知彦宮司が三年間余りの血液癌との闘病生活に幕を下ろしました。振り返れば、平成十五年に奥宮山頂より水沢の地に駒形様がご遷座されてより百周年を迎えるに当たってのご社殿ご造営などの記念事業を始め、駒形神社崇敬会の設立、境内の整備、地震被災の修復など様々な方面で神社の護持運営を果たして参りました。また、地域の子育て事業にも果敢に取り組み、最後の最後まで研究を積み重ね、実践を務めて参りました。
心残りは、当社奥宮が長年の風雪と地震被災により痛みが激しくなったことに伴い、奥宮ご造営実行委員会を設立し、ご造営計画を進めている最中だったことと察します。藩政期の伊達・南部両藩が藩境の起点であった奥宮を約二十年ごとに協力し合い、ご造営してきた故事に習い、人海戦術にて材料を運び上げ、木造の社殿にすることが前宮司の悲願でございました。
そのような前宮司の志を受け継ぎ、五月一日、後任の宮司代務者に就任し、重責を担うことと相成りました。浅学非才の身ではございますが、地域の皆様方や先輩諸賢の御教導を仰ぎつつ、微力ながら専心努力致す所存でございます。
今まで当たり前のように「毎日」がやってくると思っておりましたが、「今を生きる」ということは、天の恵みや親の支え、周囲の方々のお蔭があって成立つ奇跡に近いものがあると実感致しているこの頃です。「今日も生きているぞ」と一日一日を大切に生き抜いた前宮司に、「生きていることを実感せよ」「天の恵みと祖先の恩とに感謝せよ」と教えられた気が致します。

今を生きているからこそ、一生懸命研鑽を積み、地域発展の為に邁進して参りますので、何卒、御指導、御高配を賜りますようお願い申しあげ、就任の挨拶とさせて戴きます。  駒形神社宮司代務者 山下明

 

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